当ブログをご覧戴き有難うございます。
図書委員長だったこともある、「ナゼキニ」ブログ筆者の猫目宝石@nazekiniと申します。
先日、オークションで落札した本『森の少女ローエラ』↓
やっと読み終わりましたので、その感想を書きます。
よろしくお願い致します。
『森の少女ローエラ』とは
『森の少女ローエラ』とは、スウェーデンの作家マリア・グリーぺによる小説。
挿絵はマリア=グリーぺの夫、ハラルド=グリーぺ。
いきなり余談ですが、名前の表記に”=”が使われていたことをこの本を手にして思い出しました(笑)
日本語訳は、大久保貞子。
インターネットでざっと調べてみると、マリア・グリーぺ作品を多く訳されているようです。
ご自身による著書もあるようですが情報は非常に少なく、1976年に出版された『女のみち草』という1作品のみ。
面白そうなので読んでみたいと思いましたが、Amazonでは
「この本は現在お取り扱いできません。」
と書いてありました。残g念g
『森の少女ローエラ』の出版元は学習研究社=学研。
”学研版*少年少女・新しい世界の文学”という、小学校上級~中学生向のシリーズから出ています。
初版は1973年=昭和48年、現在では古書でしか手に入れることが出来ないようです。
『森の少女ローエラ』あらすじ
『森の少女ローエラ』の主人公は、森の小さな家で双子の弟と住んでいる12歳の少女”ローエラ”。
ローエラの”ママ”は”汽船”の”すいじ婦”をしているため、航海の度、家を長いこと留守にします。ローエラは一人しっかり弟たちの面倒を見、留守を守っていますが、そのため、学校にも行かず、村では”ノミのローエラ”と呼ばれ噂される始末。
大人たちはそんなローエラをなんとか学校に行かせよう、大人たちの監視下におこうとしますがローエラの方が一枚上手。また、”アディナおばさん”も何かとローエラたちの世話を焼いてくれるので、なんとか平和に暮らしていました。
そんなある日、やっとママからの手紙が届きますが、そこには家による間もなくアメリカへ行くということが書かれていました。”長くても1年”留守にするというのです!また、ママの留守中に”アグダ=ルンドクビスト”が双子を引き取りに来るとも書かれていました。
悪いことは重なり、アディナおばさんが骨折、入院し、ローエラ達の森の家に来ることが出来なくなります。
食料が底をつき、ローエラは村へ食料調達に出ます。それも後ろ暗い方法で━つまりはゴミ箱あさり。
留守中にアグダ=ルンドクビストが来ないよう、人除けかかし”パパ=ペッレリン”に願いを込めて。
しかし、とうとうその日はやってきて、ローエラは双子と引き離され、街の児童ホームへ入れられ学校に通うことになります。
アディナおばさんの
「この世のできごとは、みんな、なにかしら意味がある」
という言葉を思い、ローエラは街に来た意味を見出そうとします。そして、それは、ローエラが幼い時に出て行った、行方不明の”パパ”に会うため、パパがローエラを迎えに来てくれるためだと思い始めます━
『森の少女ローエラ』感想
本文読了後、巻末の”訳者あとがき”を読むと、原題は『Pappa Pellerins dotter(パパ・ペッレリンの娘』とあり、そこには”ひとりの少女の、父への思慕を描いた一種の心理小説”とありました。
心理小説ってナニ?と思ったので、インターネットで検索してみると、Wikipediaを発見↓
読んだけどワケわかめ。
小説のジャンルであることはわかりました。
私が初めて『森の少女ローエラ』を読んだのは、小学校3,4年生頃だったと思います。
学校だったか、町のだったかは定かではありませんが、とにかく図書館でこの本と巡り合いました。
借りた本だったので、読んだのは一度きりでしたが、とても印象的で、体の弱い私は主人公ローエラのたくましさに強烈な憧れを抱き、それで読後何十年もこの本のことを覚えていたワケです。
コーネンキ(更年期)になって、子どものころに読んだ本や漫画をもう一度読みたくなり、この『森の少女ローエラ』もそういった作品の一つでしたが、この度ようやく手に入れまして。
オークションで300円でゲット(笑)
表紙カバーはないしシミも付いていますが、破れもないし、字の書いてある部分や挿絵の部分はきれいで、読む分には全く差し支えなく、思い切って手に入れてよかったとホクホクしています。
改めて読んでみると、私が強烈に覚えていた森での暮らしの部分は、冒頭の40ページ強で終わっていて、え?これっぽっち?と意外でした(笑)
まあ記憶なんてそんなもんか。
それでも、50を超えた今読んでも十分に面白く、現代に通じる社会へのするどい風刺が描かれていることがわかりました。
例えば、ローエラが食料調達に村のゴミ箱を漁りに行くシーンでは、
”あるいはくさっていないものでも、ほんのすこしでもへんなにおいがすると、みんな、たるにほうりこんである。(中略)こんなによい品物をすてるなんて、ほんとにもったいない、そうローエラは思った。この村の人はとてもぜいたくで、しかも潔癖家ぞろいにちがいない。”
(『森の少女ローエラ』本分35,36ページより)
とあり、今の食品ロス問題を彷彿とさせられますし、大気汚染や騒音、ゴミ問題もローエラの目を通じて描かれて、ローエラの心を通して批判されています。
ローエラのルームメイト”モナ”が口ずさんだ”ヒットソング”として
「出あったときは クアンドといってね
クアンド クアンド……」
と出てきますが、「Quando,Quando,Quando」の事かなとか思ったり↓
当時はわからなかったことも、インターネットで調べられたりするのも醍醐味w
ちなみに『Pappa Pellerins dotter(パパ・ペッレリンの娘』も検索かけてみたのですが、どうも本国スウェーデンではテレビドラマ化されていたようです↓
Pappa Pellerins dotter (TV-serie) – Wikipedia
DVD化もされたようで、観たいやん。
こういう時は、インターネットで余計なこと知るんじゃあなかった、とか思ったり。
勝手なもんですな。
※以上全て敬称略
お読みいただき、
ありがとうございます♪
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