当ブログをご覧戴き有難う存じます。
自称ドラマ好き、ブログ筆者の#猫目宝石 と申します。
当ブログは、ドラマファンであるがゆえに、細かいところまでナゼかキニなってしまう私のツッコミブログです。
ドラマを愛するがゆえのツッコミであるということを悪しからずご了承ください。
今回は朝ドラ「ブギウギ」について。
よろしくお願いいたします。
「ブギウギ」とは
「ブギウギ」とは、2023年後期NHK朝の連続テレビ小説第109作目のドラマ作品↓
同じNHKドラマ「拾われた男」を手掛けた足立紳が脚本、音楽は服部隆之。
主演は趣里↓
戦後「ブギの女王」として日本中を元気づけた笠置シヅ子をモデルとした物語だそうです。
「ブギウギ」第1話あらすじとキャスト
物語冒頭は実際にシングルマザーだった笠置シヅ子と同じく、乳呑み児を抱え、ステージに立つ「福來スズ子(ふくらいすずこ)」(趣里)の楽屋風景で始まりました。
スズ子をせかす茨田りつ子(菊地凛子)のモデルは淡谷のり子、呼びに来た羽鳥善一(草彅剛)は服部良一がモデルです。
主題歌を挟み、スズ子の少女時代(澤井梨丘)↓へ。
大阪の下町、福島で銭湯を営む花田家は町中の人々が集まる「ごっついかっこええ憩いの場」。
スズ子はその銭湯で元気に歌を歌い、「あまえた」の父梅吉(柳葉敏郎)、しっかり者の母ツヤ(水川あさみ)、「ちょっととろい」弟の六郎と共に暮らしています。
川に飛び込んだ勢いで記憶を失ってしまった「ゴンベエ」さん(宇野翔平)は父梅吉が助け、以来「はな湯」の従業員。
常連客の「アホのおっちゃん」(岡部たかし)は毎回財布を忘れたと言っては無銭入浴。
スズ子はそのことを母ツヤに尋ねると
「義理と人情いうやつかな(中略)
この世はな、義理と人情でできてんのや」
と答え、”義理と人情”に対し、
「ようわからんけど、なんやええ響きの言葉や」
と思ったスズ子なのでした。
「ブギウギ」第1話感想
正直、ここ数年朝ドラは挫折しがちな私。
今回もどうかな、と思いつつ、笠置シヅ子がモデルとわかり一応の予約。
観てみたら、明るいムードで草彅剛が服部良一役というのもいいな、と思いました。
服部良一のお孫さんであられる、服部隆之が音楽担当なのも、「HERO」メインテーマ大好きな私にはうれしいことでした。
そしてドラマ主題歌に、EGO-WRAPPIN'中納良恵が参加されているのもうれしい驚きでしたね↓
中納良恵は、2016年に放送されたNHKドラマ「トットてれび」で笠置シヅ子役でご出演されてもいました。
「ハヤブサ消防団」でのご活躍も記憶に新しい岡部たかしのご出演や、
私の中では”「罪の声」のヒト”な宇野翔平のご出演にもうれしくなりました。
「ブギウギ」感想Instagram公開中
笠置シヅ子の生涯
笠置シヅ子=静子は正5年(1914年)、香川県、現在の東かがわ市で生まれたそうです。
生後間もなく父を亡くし、乳の出がよくなかった母がもらい乳をしていた女性、ウメの養女となり、大阪へ移ります。
大阪でウメは銭湯を開業、ドラマ第1話と同じように静子はそこで歌い踊っていたそうです。
昭和2年(1927年)、宝塚音楽歌劇学校を受験しますが、身長が足らないことなどを理由に不合格となります。納得のいかない静子は松竹楽劇部へ行き、宝塚に受からなかった悔しさを延々と語り、あまりにもしゃべり続ける静子に半ば呆れた松竹から、明日から来なさいと言われたとか(笑)(「昭和偉人伝」より)
松竹では三笠静子の名でスターとなりますが、三笠宮家創立を機に笠置シズ子と改名します。
昭和13年、東京で旗揚げしたSKD(松竹歌劇団)に参加、翌年母ウメが心臓疾患で亡くなってしまいます。しかし、東京では服部良一と出会い、服部ジャズの申し子、スイングの女王の名をほしいままにします。
ところが、太平洋戦争に突入し、ジャズは敵性音楽とされ、シズ子は警察から三尺四方(90㎝四方)からはみだしてはいけない、つけまつげが長い、などと歌手活動に制限を受けるように。
同じころ、ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子は警察に対し
「歌手のステージでの化粧は(戦闘服のようなもの)、ゼイタク品ではありません」
と突っぱねたそうです。
吉本興業の創業者吉本せいの息子、吉本穎右(えいすけ)が名古屋でのステージの時に「ファンです」
と言ってシズ子の前に現れ、以降交際に発展しますが、せいにより結婚を強く反対されます。やがて子供を身ごもり、結婚の許可が出たにもかかわらず、間もなく穎右が結核により急逝、結局は未婚のまま出産しシングルマザーに。
なお、出産したのは穎右の死後数日とのことで、命名は穎右の遺言に従ったのだとか。
1人で子供を育てなければと、服部良一を頼りに精力的に歌手活動を再開、シズ子は今度はブギの女王へ。
黒澤明作詞「ジャングルブギー」
「銀座カンカン娘」では映画出演も
「ラッキーカムカム」の流行語を生んだ「ヘイヘイブギー」についてシズ子は
「私自身の(戦後)復興ソング」
と仰ったそうです。
服部良一が村雨まさをの名前で作詞をした「買い物ブギ」
戦後の日本を明るく元気にした笠置シズ子。
ステージ狭しと踊って歌うスタイルでしたが、昭和29年(1954年)3月31日に娘殺害の脅迫を受けたことなどをきっかけに、昭和32年には歌手活動を引退宣言し、その後は笠置シヅ子として俳優業のみで活動しました。我々昭和世代には、日本初液体クレンザー「カネヨン」のCMが印象深いところでしょうか。
昭和60年(1985年)3月30日、卵巣がんで入院していた病院で亡くなりました。
享年70歳だそうです。
以上はBS朝日で放送された「昭和偉人伝」で放送された内容でしたが、そのままドラマになる波乱万丈の人生、朝ドラ「ブギウギ」ではどう描かれていくのでしょうか、楽しみです。
関連本↓
※以上全て敬称略
最後までお読み戴き、
ありがとうございました🍀
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