ナゼかキニなるエトセトラ

薬膳、マンガ、ドラマetc.とコーネンキのお間抜けな日常

昭和の話【あだ名編】

新しい年になり、数日が経ちました。

そろそろ社会的にも通常モードに戻ろうかという頃でしょうか。

本年も、なんちゃって薬膳、テレビや本の感想などなど、ブログ上で振りまく所存でおります、猫目宝石、猫目宝石を、よろしくお願いいたします!(選挙?)

 

さて、本日はさきほどナゼか突然思い出した、小学校時代のあだ名のお話。

 

平成は、男子児童にも「さん」付けで、とか、そういう時代になりましたが、昭和の小学生は自由でした。

 

自由さが顕著だったのが、何と言っても【あだ名】のつけ方でしょう。

 

「フクダ」だったら「フグ」、「ハットリ」だったら「ハット」という、名前をもじった単純なものあり。

 

帰国子女は日本に戻る前にいた国名等で呼ばれたり。サウジアラビア帰りなら「サウジ」、メルボルン帰りなら「メルボ」と言ったように、省略されるのが定番。

 

ザンビア帰りの帰国子女がいましたが、その方は眼鏡をかけていたため、あだ名は「メガネ」になりました。昭和40年代後半から50年代初めの児童の眼鏡着用率はとっても低かったんです。

 

ヒドイよね、というあだ名も割とザラにありました。

骨折したら翌日から「ポッキー」、色黒というだけで教科書に載っていたカンボジアの方に似ていると言われて「カンボ」、顔色がよくないことから”しかばね”転じて「バネ」

 

しかしこのヒドイ系、呼ばれた方々も最初は怒って抵抗されているのですが、あきらめるのか慣れるのか、しまいにはフツーに呼応していたのが可笑しかったですね。

 

あとは役職系。

学級委員は「委員長」転じて「インチョー」、呼んでる内に「委」と「員」のイが同化しちゃうんですね。「シッチョー」「ブチョー」「カイチョー」「タイチョー」ん?

だいたい「長」のつくあだ名で呼ばれる児童は優等生系と言えば聞こえがいいが、コレと言って特徴のない児童がその場しのぎで呼ばれてる感もありました。

 

ええ、いかにも私がそうでございます。勉強をしたこともないのに、「ガリ勉」と呼ばれていたことも。信じるか信じないかはアナタ次第です。

 

あだ名がつかない方々もおりました。

女子に多く、控えめでクラスの中でも少し大人っぽいと、尊敬の念がこめられるのか「○○さん」と呼ばれるチーム(チーム?)

 

そんな「○○さん」の中でも忘れられない「○○さん」がいます。

それは、アンソさん。

 

アンソさんとは住んでいたところも離れていて、同じクラスになったかどうかもオボロゲ、しかもおしゃべりしたのもおそらく数えるほど。

 

なのに、どうして忘れられないのかというと、アンソさんを含む、二、三人で話をしていた時のことが、ことあるごとに〽鮮やかによみがえるゥ~からです。

 

その日、アンソさんはご自身のお兄様のことについてお話してくれていました。

内容は全く、ちっとも、カケラも覚えておりませんが、楽しく談笑した思い出があるので、お兄様のオモシロネタをご披露していただいたのだと思います。

 

ひとしきりお兄様のお話を終えたアンソさんが、放ったひとこと

 

「アンソさんのお兄、アンソニー」アンソニー アンソニー……(エコー)

 

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↑私の心の中のアンソニー。

 

 

ええ、このたったひとことと、この言の葉を放ったときの、アンソさんの満面の笑み、まさに破顔一笑といったステキな笑顔が、40年経った今でも忘れられません。

 

アンソさんのお兄様も、そろそろお孫さんがいらしたりするのかな、そうなると、アンソ爺かな、アンソG?ゲッターロボGみたい、かっけー。

 

……なんてことを、今朝風呂掃除しながら考えていた私でございます。

 

そんなお間抜けな日常。

 

 

お読みいただき、ありがとうございます!