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松本清張原作とうたった映像化作品を多数観るチャンスがありましたので、この機会に未読の原作本と合わせて楽しもうと、
私も清張沼にハマってみる?キャンペーン(キャンペーン?)
を始めました。
今回は「砂の器」について。
よろしくお願い致します。
映画「砂の器」あらすじとキャスト
映画「砂の器」は、1974年=昭和49年に公開され、その年の映画賞を総なめにしたと言われるほどの話題作だったそうです。
蒲田操車場で身元不明の遺体が発見され、殺人事件として捜査が始まります。
犯人らしき人物と被害者との会話がズーズー弁だったこと、「カメダはあいかわらずですか?」と言っていたのを耳にしたという証言から、東北へ捜査の目を向け、”羽後亀田”の駅に降り立った二人の刑事。しかし、これという成果を得られないまま東京に戻ります。物語は、この二人の刑事━ベテランの今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)を中心に進められていきます。
やがて遺体の身元は岡山在住であった三木謙一(緒形拳)であることが判明。今西刑事は、三木がかつて住んでいた島根県の亀嵩の土地ではズーズー弁が使われていることを知り、亀嵩へ向かいます。
一方、車窓から紙片を巻いていた女性乗客を見たとの情報から、その”紙片”は返り血を浴びた犯人のシャツなのではないかと、吉村刑事は線路周辺を探し歩きます。
しかしなかなか犯人を割り出すことが出来ません。今西刑事は、被害者三木謙一が上京直前に訪れた伊勢の地へ。
そこで三木が2日続けて映画を観たという情報を得ます。粘り強い今西刑事の捜査から、ようやく容疑者和賀英良(加藤剛)にたどり着きます。
和賀は世間で注目されている文化人集団”ヌーヴォーグループ”の一人であり、前大蔵大臣の娘(山口果林)とも婚約間近、前途洋々のピアニスト。しかし、和賀には決して知られたくない過去があり━
ドラマ「砂の器」
「砂の器」はドラマ化もされており、私は1977年版、2004年版、2011年版を視聴しました。
1977年版のキャストは、今西刑事役仲代達也、和賀英良役田村正和。
2004年版和賀英良には中居正広。
2011年版は玉木宏演じる吉村刑事を中心に描かれており、和賀英良役は佐々木蔵之介でした。
「砂の器」ネタバレ毒舌感想
映画、ドラマとも小説とはかなり違う作品に仕上がっています。
というよりも、ぶっちゃけ、ドラマは映画作品を元にして作られたな、と。
まず、映画ですが、とても素晴らしい作品で感動的な話です。
映画は映画として美しい作品で、賞を総なめにしたというのも心の底から納得します。
ただ一点、クライマックスが長い。
容疑者和賀英良が指揮する「宿命」が流れる間、父との巡礼の回想シーンが映し出されます。
このシーンがあまりに印象的なので、「砂の器」=父子の巡礼、みたいな図式が出来上がっているのではないかと推測しますが、原作にはそんな回想シーンはこれっぽっちもでてきやしませんぜ、ダンナ。
映画公開当時はここは感動的で涙を誘う名シーンだったと思うのですが、今の私には長すぎて
「まだかーまだかーまだ続くのかー」
と。やっと終わると思ったら、あっさり映画も終わりで、
「え?」
と、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまいました、鏡は見ていませんが。
ドラマは先述したように3作品視聴しましたが、おしなべて映画を踏襲。
1977年版のドラマは仕方ないとしても、2000年代のものは、特に、2011年の作品は主人公も変えるなら内容も原作に近づけてほしかった!
いや、いい話、というか、悲しいけれど人の心に訴えかけるような話なんですよ。
小説『砂の器』感想
さて、原作の感想。
とにかく長い。(笑)
そもそもが、
「『点と線』のような作品を(もう一度)やらないかと言われて」
(『砂の器』を)書くことになったとかいう話を、テレビ番組で耳にしたのか、インターネット上の記事だったのか、不確かな情報で誠に相すみませんが、兎に角、私は始め『砂の器』も『点と線』が連載されたような、旅雑誌に書かれた作品なのかと思い込んでおりまして。
それで、日本全国をあっちこっちする都合上こんなに長い話なのだろうか、それにしても長い、と、特に主人公である今西刑事がよく読んでいた新聞記事の描写の部分は読み飛ばしました。
(とはいえ、結局戻って読んだのですが(笑)
ところで、読了後に『砂の器』が読売新聞夕刊に連載されていたと知り、道理でやたらと新聞記事の話が多いと納得した次第でもあります。
しかしながら、映像化されていないトリックが出てきた時、
「おンもしろい!」
とコーフンしました!
ナゼ映像化作品ではどれもこのトリックを省いてしまっているのだろう?
いっちゃん面白い部分じゃん!
と、私は、声を大にして言いたい。
なので文字を大きくしておきました。
このトリックについて、インターネット上の『砂の器』の感想をいくつか拝見する限り、どれも評判がよろしくないようで。
ただ。
このトリックのためには、”和賀英良”は電子音楽家でなければならず、原作によるとこの電子音楽、ミュージック・コンクレートというものは、人の声や鉄道の音といった、いわゆる楽器以外から拾った音に機械的なアレンジを加えて”作曲”するもの、映像化するには、いささか映えない音楽ということになりそうだなという考えに、私、至りまして。
『砂の器』と言えば「宿命」、というほど音楽が有名になった作品でもありますからねえ、ええ。
しかしながら(再)、この作品の最大に面白い部分はやはり超音波を使ったトリックだと思うのデス。
それを無くしてしまうと、単なる悲しいお話、読後にイヤな気分になるイヤミスでしかない😱
超音波のトリックが突飛すぎるとか、
社会派なのに実現可能かどうか不確かなものをトリックとして使うとは、
的なご意見を目に致しましたが、私自身は推理小説は娯楽作品と思っておりますので、やはりトリックは「THEトリック」の体が好い。
これによって、和賀英良には同情の余地もない、サイコパスな犯罪者ということが裏付けられるので、かつての恩人と再会したその日に事件を起こしたことに何の矛盾も不思議もなくなるワケです、はい。
なんだか、”いい話”に持って行こうとして、再会したその日に殺人に至る動機が説得力に欠けると、多くの識者(指揮者だったらよりオモローでしたな)がおっしゃられているとかなんとか、Wikipediaに載っておりますが、『砂の器』発表当時に「サイコパスキラー」の認識がほとんどなかったからなのではないのか?と問いたい。
なので、犯人たる人物和賀英良には一片の同情の余地もなく、逮捕されてスッキリ!
大団円という物語なのである。
しかも、アメリカ行きの飛行機に向かうところでの逮捕なので、ざまーかんかんカッパのへ
読後の清涼感、パねえ←50代半ばの言葉と思えませんな。
清張ご自身も、読んで楽しくないとね、と仰られていたとか。
結局は完全に絵空事だと思うので、やるせない思いは現実社会だけでおなかいっぱいむねいっぱいなのであります。
※以上全て敬称略
最後までお読みいただき
ありがとうございました♪
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